2021-04-06 第204回国会 衆議院 法務委員会 第10号
被害者支援でいいますと、私は今、あひる一会という自助団体の代表も務めさせていただいておりますけれども、日常生活が送れるようになるところが一応エンドラインというふうに見ております。どのような方でも、当初は大変落ち込んでおられ、社会を非常に不信感で見ておられた方でも、時とともに回復に至るということが一般的だというふうに思います。
被害者支援でいいますと、私は今、あひる一会という自助団体の代表も務めさせていただいておりますけれども、日常生活が送れるようになるところが一応エンドラインというふうに見ております。どのような方でも、当初は大変落ち込んでおられ、社会を非常に不信感で見ておられた方でも、時とともに回復に至るということが一般的だというふうに思います。
実は、私は、被害者支援の団体のあひる一会という団体の代表を務めさせていただいております。そこの団体は、事件当日から被害者支援に入ったこともある、早期支援団体ではないのですけれども、極めて迅速に被害者支援をしたいというふうに考えている団体です。そこで様々な出会いがあるわけですけれども、確かに、今先生のお話しになったような生々しい御発言をされる御遺族も当然いらっしゃいます。
○茂木国務大臣 美しいハクチョウ、ハクチョウが美しいかどうかはいろいろな考え方があるかと思いますが、少なくとも、アンデルセンはハクチョウを美しいものとして「みにくいあひるの子」を書いたのではないかな、こんなふうに思っております。
) 岡村 勲君 参考人 (全国被害者支援ネットワ ーク会長) (東京医科歯科大学犯罪精 神医学教授) 山上 皓君 参考人 (全国交通事故遺族の会会 長) 井手 渉君 参考人 (少年犯罪被害当事者の会 代表) 武 るり子君 参考人 (フォーラムあひる
フォーラムあひる一会というのは、私の息子が結婚記念日に残してくれました、アヒルがハートを間に置いた一冊の簡単な絵本がきっかけでございます。二〇〇〇年の二月の二十二日にできたばかりでございます。 これは、別に犯罪被害者じゃなくても、いろいろなことを考えようよという趣旨でございまして、社会の問題、教育の問題、環境の問題をいろいろな立場で考えたい。
○武部委員長 ただいま御出席いただいております参考人は、少年犯罪被害当事者の会代表武るり子さん、フォーラムあひる一会代表片山徒有君でございます。 この際、参考人各位に委員会を代表して一言ごあいさつ申し上げます。 両参考人には、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
「みにくいあひるの子」型いじめというのは、要するに少数派をつつく。アンデルセンの「みにくいあひるの子」のような形になりますが、それをやめさせることが重要で、これこそが国際化教育の一番重要な点でありまして、むしろ小学校で英語を教えるよりもこの方が重要だと私は思うぐらいです。
こういう状況を見ますと、私、昔読んだ童話の「みにくいあひるの子」というのを思い出すんですけれども、日本はどうも「あひるの子」ではないということは感じられているんですが、「あひるの子」ではないにしてもちゃんと立派な何かの鳥なんだということがなかなか理解してもらえないということが大変残念だと思います。
下村参考人は、ODAというのは波みたいなものだ、波頭にいろいろな問題が浮き出る、「みにくいあひるの子」症候群がある、しかしそこのうねりを見なきゃならぬとおっしゃったんだけれども、その「みにくいあひるの子」症候群と言われるような波頭とマスコミも報道し我々も追及してきたようなさまざまな問題というのは、やはり多国籍企業の利潤追求の行動様式が不可避的に生んでくる問題が多かったわけです。
本人にはまだ当たっておりませんがとか、およその鶏かあひるかくらいのことは、皆さん考えておられないはずはないですよ。しかしこれが、そこまでというふうに努力したことが、案外委員会としては不評判になってもいかぬとかいうような点とか、審議の順序その他のことからわかりますけれども、まあまだ何も考えていないというようなことであっては、頼りないことおびただしい。
国定公園は都道府県の維持管理において少い予算においてやろう、今日の日本の自治体の財政的な観点からいたしまして、きめるのは国の委員会とか審議会がかつて気ままにきめて、あひるの卵じやないけれども、生み落しただけで、それを育てるのはお前らかつてにせいというようなばかげたことをやつて地域的にも資源回収、すなわち地下資源の面等に対しても、規則で国定でも国立でもこれを縛つて行こうというようなことは、まことに画龍点睛
あなた方はちようどあひると同じで、首を絞めるとけつで息をする、けつを絞めると口で息をする、両方からやつておる。国民はそんな無定見なことをされては、たまつたものではない。国民生活がどうのこうのということではないということに結論的になるのじやないかと私は思う。だから、原材料か食料品かということを明確にしてから、おのずからこの外貨割当も出て来る。
大体「あひる」をごらんなさい。三年、四年前には「あひる」はどこに行つてもぎやあぎやあしていた。近頃は「あひる」がいますか。「あひる」を飼う余裕がなくなつてしまつた。あれほど一生懸命やつたものが……。これはやつぱり本腰に考えてもらわなければ畜産行政などはできないと思う。どんな山の中に行つても「あひる」がぎやあぎやあしていた。近頃どこに行つても「あひる」はいません。
私は、何もししとうさぎのけんかと考えておりませんので、せいぜい鶏とあひるぐらいの対等の立場で、ちよつと形の違うものと思つております。そういう立場のものを調整するということは、またそこに持つて来る環境によつてどうにでもできるのではないかと思う。その環境とは、私の申します労働問題協議会でございます。
ただいまのお説もその通りでございまして、生産の方については通産省がいろいろそういう輸入とか何とかしますけれども、その結果がちようどあなたのお説の通りに、あひるの卵の産みつぱなしというような形にもなりますので、これは何とか制度をかえて行かなければならぬと思います。
○齋木委員 そうするとあひるが卵を生みつぱなしのようなぐあいで、それをかえしもせぬで、通産省が輸入なり何なりなさる御計画でありますか、それを承りたい。ただ輸入するだけであとは農林省だ、こういつたのではさつぱり要領を得ないと私は思うのであります。その辺の見解はどうなりますか。
先ほどどなたかのお話のように、あひるの卵みたいに産みつぱなしでほかのものに育てさせる、こういうことではならない。私は先年文部省に対してもこういうことを言いましたが、一体文部省の責任問題じやないが、先ほど柳田さんのおつしやつた通りに、学生はやはり育てて行かなければならぬ。
だからこそ、日本に軍艦を貸与する法律を審議した七月三日のアメリカ上院でハント氏が「これらの船は現代においては実質的に「坐つたあひる」と言つて差支えなく、保存に適当でないので老朽化しつつある」と説明したように、廃品同様のぼろ軍艦であるとはいえ、以前から横須賀に繋船されているフリゲート船十隻は三百五十万ドル、アメリカに繋船中の大型上陸支援艇には目下千五百万ドルをかけてアメリカが修理中であるという。
○須藤五郎君 今度日本に貸してくれる船を、向うでは坐つたあひるというような名前をつけてあるほどのぼろ軍艦ですが、これは今申しましたように多額の金をかけてアメリカで修理して、そうしてこつちに持つて来て、そうして貸してもらつた船が若しも沈没した場合、破損した場合はもとの通りに直して返すということですね、沈没してしまつた場合は、新らしく新造して返すということなんですか。
なおその後の処理につきましては、これはたしかあひるの畜舎を作つたとか、或いはその個に貸出したというようなことに一時流用しておつたのですが、その後それぞれの補助金の正当受領者のところに金がそれぞれ渡されて処理がついた、こういうような報告を受けて処置しております。
しかしながら、吉田内閣がかくも御機嫌をとつて導き入れる外資のドル箱から飛び出すものは、あひるがかえした、がちよう以外の何ものでもないのであります。その証拠に、米国の石油会社、テキサス・オイルは、日石に原油を供給し、技術援助を與える代償として、捨値同様で日石の支配権を握り、採油鉱区から精油工場、石油貯蔵所の一切の施設の半分を自由に使用する権利を獲得したのである。
退所者の職業補導として、所内売店に四人、一品料理店四人、うち二人再発、ラジオ修理一人、時計修理一人、あひる飼育一人等が所内にあつて自活の用意をいたしております。完全にこれのみで生活を全部立てることは困難のようでありますが、健康の管理等が十分に行われておるから、成績は次第にいいほうに向うものと見て参りました。
大体十日分くらいのわずかの量で、鶏やあひるの喜ぶような思いやりのために、きようはしつこく言うのをやめますが、とにかくはつきり聞きたいのは、こういうふうに焼津にとうもろこしが行つたのは事実であります。政務次官もよく御存じでしよう。町で配給辞退がありますと、それに対して二日分なら二日分を公団が責任を持つ。二日経つとこれをかつてに処分できるように聞いております。
なぜ上るかといえば、豚の数はきまつておる、牛の数はきまつておる、あひるの数はきまつておる。ところが人間の数はうんと多い。だからこれらが入札に来まして、飼料でありながら、経済の現象としては飼料に行かずに逆にみそとかしようゆの方に行くのです。そうしてみそやしようゆは人間が食うものだから飼料より大事だという考えもある。せつかく農林省がお立てになりましたところの畜産五箇年計画というものはうまく行かない。
一日も早く帰してやらなければいかぬからというので、ただちに豚五十頭に、あひる何百羽というものを旅順に送つている。それから四国へ連れて来てからも、当時の帝政ロシアの捕虜に対しては、まつたく日本は万国赤十字社からほめられるような待遇をしておる。こういうように、今日敗れたりといえとも、日本はまつたく人道的にやつた。